今日は南風が強く変わった天気です。
昨日は臨時にお休みを頂き、すみません。また明日明後日と当店はお休みです。
お詫びに、ちょっと読み応えのあるブログをアップいたします。
茶室・茶席/瑜伽庵のある谷中から谷中の墓地のY字路を左に、三崎坂を下り団子坂を登ると、森鴎外記念館があります。
今の森鴎外記念館は、2,3年前に立て直され、その前は本郷図書館併設鴎外記念室(そんな名前)でした。
図書館は本郷図書館として通りななめ向うに新設され、途中記念館は児童保育所にもなっていたような・・。
団子坂上は文京区立の施設が集まっています。
さて、三崎坂と団子坂を上り下りして、谷中と千駄木を行き来すると、2つの事が分かります。
①不忍通りは「へび道」が脇を通っている通り、不忍池につながる音無川(おとなしがわ)だったことが分かります。
ちなみに、台東区と文京区の区界は不忍通りではなく、へび道。不忍通りを渡ってもしばらく文京区千駄木で、へび道と三崎坂からの通りが交わる「枇杷橋」(今はこの名前を呼ぶ人はいない谷中銀座・夜店通りに入る蕎麦大島屋と大澤鼈甲、の交差点)前後で千駄木と谷中に分かれます。
②谷根千と言いますが、三崎坂=谷中 と 団子坂上=千駄木 下町・山手の住宅地の雰囲気の違いが分かります。①の通り、「へび道」まで地名の千駄木が食い込んでいますので、「谷根千」でよいのでしょうが、上野桜木や団子坂上の千駄木も「谷根千」かと言うと流行なので商業的にぐるっと一纏めなのでしょうが、永く住んだ者としては、ちょっと違うような気がします。同じ下町としては、谷中と浅草では、「浅草っ子」が認めないでしょうし、鳥越もまた谷中や浅草とは違うと思っていると思います。蔵前もね。そうそう特殊な街 千束も。
戻って、森鴎外記念館。
森鴎外旧宅=森鴎外記念館は「藪下通り」にあります。
「藪下通り」はたとえば最近谷中の墓地の桜の多い駐在さんに面した通りを「さくら通り」、上野公園に抜ける一方通行路を「芸術通り」と勝手に読んでいるのと違い、下手したら音無川を暗渠にした不忍通りより古い地名かも知れません。
不忍通りは駒込先から90度左に曲がってそれまで本郷台の土地の上下で本郷通りと並行していたものが、本郷通りと「上富士交差点」で交差します。「藪下通り」は上富士交差点近くの富士神社(江戸の富士山信仰社。富士山を模した築山がある)天祖神社を通って本郷通り(旧中山道)と全く並行して本郷の山手を根津神社につながる道です。(その先は東大=加賀前田侯上屋敷)
途中一方通行路と成ったりして、今も自動車の交通量は少ないですが、「芸術通り」よりよっぽど広い道で、大きな家がたくさんあります。文京区に「須藤公園」を寄付した須藤さんや安田財閥の安田邸等々。本郷保健所、千駄木小学校、先の本郷図書館もこの通りに沿ってあります。
一方通行などの「通行路の規制方向」で、ただ動坂と団子坂の間の道と思っている最近の人がいるようですが・・・。言葉って使っている人が多い方の意味に変わっていくのでしょうね。きっと「谷根千」も。
すいません。今回はやたらと脱線しますが、また、元に戻して。
森鴎外邸は「観潮楼」と別名を持っています。
鴎外記念館は現在表門は団子坂上の通りに面していますが、藪下通り反対側は崖下で「汐見(しおみ)小学校」です。
明治は海が見えたのですね。
下町と山手も実感できる高さですよ。
海が見えたのなら、谷中や上野より高い位置にあるということですね。
スカイツリー方向に本郷台〜崖〜少し登り谷中・上野の山〜寛永寺坂(芋坂等の砂地崖)=崖〜山手線などのJR各線〜入谷〜浅草〜大川(墨田川)。
寛永寺坂(芋坂等の砂地崖)=崖は、大昔(古代)の海岸崖。
藪下通りの「あえて観潮楼(鴎外記念館)」前には、スカイツリーが真ん前に見える階段坂もあります。
・・・・隠れた「谷根千」解説スポットだと思います。当店と同じくあまりマスコミには知られていません。(ガンバ)
ちなみに、森鴎外記念館には入場料を払わなくとも入店できる「モリキネ カフェ」(森鴎外記念館カフェの略)がありますが、いつも空いてます。
区立と私企業の当店では・・・・・、もっと頑張らねば。
長文を読んで下さりありがとうございます。いろんな思いがある一つのブログでした。