大正2年に谷中で店を開いた「大久保美術」。
店主もこの地で62年前に生れました。
当時は店舗兼住宅で、店主の祖母、父母、お手伝いさん、33歳で亡くなった妹と住んでいました。
お手伝いさんは妹が生まれて暫くして里に帰りましたが、その当時は他の普通な小さな家でも、「花嫁修業」でお手伝いさんがいらした様に思います。
遊びに行く友達の家にも、それぞれにお手伝いさんが働いていました。
大正2年に新築の家に入ったようです。
登記簿に築年があります。
大黒柱に明り取りのガス灯の後があり柱にガス管跡がありました。
物干し下に天窓もあり、洒落た家でした。
2度ほど改築し、3階の倉庫や風呂も出来ました。小学生高学年の頃父が買ってきた鉄板焼きが出来るテーブルを皆で、椅子に座って食卓を囲むのが楽しかった。
それまでは、小さな丸いちゃぶ台で車座で食事してましたから。
カラーテレビは万博より早い月面着陸の頃かな?
18歳の時、自宅が別になり谷中は店専門になりました。昭和50年頃ですね。
店を新築する時、店の品物を整理し始める前に当時の携帯で写真を撮りました。(朝5時)
大久保美術の最後の店内の様子です。新築は店内の面影を残すようにしました。
Facebookからの方は写真をクリックしてホームページで何枚かの写真の様子をご覧ください。