昔の店を建て替えるきっかけとなったのは、当店の真ん前、今は日展新会館と成っていますが、その前に建っていたゴム工場の火事でした。
その時は父も健在でしたが、ただ店前の火事を見るだけでした。
火の手は強く、通り向こうの建物は何件も類焼しました。
今は三崎坂途中にある招き猫の「谷中堂」さんも当時は向かいの角に有って類焼してしまいました。
それで、移って行ったんですね。
隣りの電器屋さんのプラスチック看板も解けて見てる間に変形していきます。
大久保美術のクーラーの外扇機も解けてしまいました。
失火法によって、「失火」は賠償をもらえません。店主は知っていて火災保険は行っていたので助かりましたが、問題の発生した方がおられました。
道は春先なのに大雪の様に化学消防車の泡だらけです。
家内が亡くなった父に「数ある物からどれを運び出しますか?」とたずねたところ・・。
「お客さんからの予約や預かり物から運び出す。」との事でした。
実際は運び出すことなく終わりました。
品物自体の価値ではない。店主も肝に銘じました。