谷中の五重塔は、関東大震災も戦災にも被害にあう事無く、時代を潜り抜けた建造物でした。
正に、谷中のランドマークでした。
今あれば、谷中の一番の名所でしょう。何と言ったって関東一高い仏塔だったのです。
幸田露伴の小説「五重塔」のモデルです。
天王寺が五重塔を明治41年(1908年)現在の都・谷中霊園=東京市に寄贈されたものです。
店主の生まれてすぐ、1957年(昭和32年)7月6日早朝午前3時45分ごろに火の手が上がりました。
(58年前。 7月6日は、今年で言えば月曜日・なでしこが決勝で負けっぷりよく負けた日・・悔しい)
放火・心中で火が点けられ、心柱を残してすべて焼け落ちたとのことです。
祖母(瑞輪寺の回や柏湯=スカイザバスハウスの回の大久保まさ)に聞くと、戦時中でも見たことのない火事の明りで、通り中が明るかったとの事。
当店から五重塔跡までは、500メートル弱はあると思います。
なぜ、放火心中だと分かったかは、その2で・・・。