店主は、「5月のバラ」がカラオケのやり初めごろのレパートリーの一つでした。
37年前社会人となって、とある銀座の会社に勤めました。
で、先輩に連れられて、銀座のバーに行きました。
その頃は、カラオケ自体がなく、「ピアノの先生」「ギターの先生」という方々がいて、その伴奏で歌うというものでした。本当は、そこで専属歌手がショウをするところを、空き時間にご愛嬌で、素人のお客さんが歌うというものです。だから、余程うまくないと、マイクは貸してくれません。
さらに、余程大きな店でないと、設備・ピアノがないから、歌えません。
思い出してみると、学生とその当時は、今で言う「一発芸」を皆持っていて、持っていないものが、しょうがないからと、アカペラで歌ったものです。
店主は、「巨人の星」を当て振りで踊るというのが得意芸でした。
あと「アブラハムの7人の息子」かな。
そうこうしている内に「エイトトラック」のカラオケが出始め、スナックと言われるところでも、歌えるのですが、歌詞カードを本型のクリアーファイルに入れて留めてあるので、まぁ大抵お酒などを溢すから、歌詞カード帳は太鼓状に膨れてました。また、始めのころは、店のママの趣味で、カラオケを買ってくるので、歌もジャンルが偏っているし、「あいうえお順」にも、なっていないから、ママでないと、目指す歌が出てきません。
そのうちセットで歌が売られるようになると、「あいうえお順」や歌手別の歌詞カードが出来ました。
ここら辺から「カラオケ道場」みたいな店も出来て、会社帰りに行くようになりました。
お客を番付で張り出すシステムで、優勝すると「オールド」が貰えボトルキープ出来ました。
店主は3段までいったけど、好きに歌えないと、行かなくなりました。
ちなみに、「歌声喫茶」というのが、それより前から、新宿中心にありましたが、店主は行きませんでした。なんか左巻きポイので・・。
パイオニアのレーザーディスクカラオケは画期的!
固定の絵ですが、歌詞が画面に表示されるのです。
そのうち、レンタルが生まれて、動くイメージ画像つき、歌のスピードに沿った歌詞と、ご存じのカラオケになり、点数ゲームも生まれました。
長文となりましたが・・・。
当店近所の多寶院さんの「5月のバラ」です。