先のブログで、三丁目の夕日の違いみたいなことを書いてしまいましたが、さて都電の色も「肌色にあずき色の線」で、東急世田谷線、京都の京阪や、広島、鹿児島の市電のように、決して「緑色」で無かったと記憶しています。
根津、千駄木の不忍通りを行き来し、駒込へ本郷通りの都電と合流して(不忍通りは本郷通と並行し走りながら左に折れて十字に交差する)子供の店主は穴の開いてない、50円玉を握りしめて、大冒険したものです。
谷中は都電ではなく、「トロリーバス」でした。
トロリーバスの町でした。
線路では上がれない、坂の町なんだなと子供心に思いました。
上野公園池之端松坂屋前を浅草寿町を経由して今井まで、谷中の停留所は、浅草方向はカヤバ横、上野方向は当時の「浜野病院」の前だったと思います。(今の都バスのバス停位置)
色は、胴体半分から屋根はクリーム色で、下部が青だったか?緑色だったか? その折版の緑青色だったか・・。
店主の中学生の時、東京オリンピックから4~5年で廃止になったと思います。
ワンマンではなく、必ず車掌さんがいて、戦前に廃止になった?京成電鉄の上野桜木駅で、架線交換をしたり、乗務交代していました。(だから男の車掌さんなんだと思っていました)
上野桜木駅は、イナムラシュウゾウさんのある。寛永寺前の桜並木の寛永寺坂方向の角です。妙に太い通りでしょ。
今の都バスは、1時間に約1本ですが、当時のトロリーバスは10分に1本はあったと思います。
千代田線はトロリーバスが廃止になってから2、3年して霞が関まで開通しました。
当時は上野は勿論(歩こうと思ったら歩けますから)、今より谷中は浅草が近かった気がします。
寿町で降りて、観音様を抜けて(お参りし)おもちゃ屋で、子供切符車掌セットを買ってもらっていました。
そして、トロリーバスの車掌さんをカッコ良く見ていました。
周回環状バスの「めぐりん」は谷中地区のみ、台東区境のためか、両方向走っていて、恵まれていますが、そのまま浅草まではちょっときつい(遠い)感じがします。