谷中の旧吉田屋と大久保美術

下町風俗資料館付設展示場の旧吉田屋酒店は、昔から上野桜木の交差点にあったと勘違いしている人いませんか?

吉田屋酒店は、現在、「ぎゃらりー茶屋町三番地」(谷中6-4-7)(戦車道)のある場所にありました。

店主も、子供の頃お使いに良く行きました。

当時の大久保美術は、店舗併用住宅・・そこに住んでいたのですから。

上野桜木交差点の藤本クリニックの低層の建物は、元・酒屋さんでしたし、三崎坂を下る手前の東京バイクもお酒屋さんの風情のまま、ですから、徒歩2~300mの中に、お酒屋さんが3件もあるという具合で、子供心にも、お酒屋さんが多いな、儲かるのかな・・、と思っていましたが、現在は一つもありません。

良く、お酒屋さんがコンビニになりますが、デニーズと一緒にある、セブンイレブンは、薬科大のテニスコートでした。

そう思うと、茶屋町三番地の本当の吉田屋さんの隣りは、八百屋さん。

そう、魚屋さんは、ギャラリー大久保/大久保美術の隣りの電気屋さんの隣り、に1件、カヤバの2軒先くらいに1件と、やはり近いところに2件ありました。

寺町ですので、法事ごとは、各お寺で、お魚屋さんから、仕出しを頼んで、お酒屋さんから、お酒を出前してもらう、と言う事だったのでしょうか。

お肉屋はそれこそ、旧吉田屋のある展示場かその横に、有って「玉子屋」さんと言ってましたから、元々は本当に卵屋さんから、お肉屋さんになったのかな?・・聞いとけばよかった。その隣に八百屋さんもあったかな。

さて、ご存じの通り、大久保美術を建て替えて、ギャラリー大久保が誕生したわけです。

大久保美術の大正2年の建物を解体する前に、全ての品物を、運び出すのですが、骨董、美術商の引っ越しとなりますと、冷蔵庫やテレビの様な家財道具は、引越し屋さんが預かってくれましたが、商品はどの運送屋さんも、「お断り/ノーサンキュー」でした。

レンタルルームを借りたり、千駄木の自宅へ、道が混まないように、自分で、自家用車で、朝5時に、3往復位を1か月ほど続けました。

その中で、家財道具として、積み残しに、「山に吉田」の吉田屋さんのマークの入ったお皿や小鉢が、沢山出てきました。処分する前に、旧吉田屋さんの展示場に、「差し上げます」と持って行ったところ、「池之端の本館に尋ねなきゃならない」と言うだけで、電話するでもなく、面倒なことを言いに行った様子なので、処分してしまいました。

・・・なんか、心に残っているのですよね。

吉田屋はここにありました。茶屋町三番地。写真奥に、昔は八百屋さんがありました。

吉田屋はここにありました。茶屋町三番地。写真奥に、昔は八百屋さんがありました。